他人の短所を見つける自分が嫌いです
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自分と他人を比べて優越感を持ってしまいます。それで一時は気持ちよくなるのですが、後に待っているのは自己嫌悪。「あの人より頑張った自信がある」というのならまだしも、私の比較は「あの人はダメだ、しめしめ」だからです。そんな自分は嫌いですし、許せません。人前に出るのも恥ずかしくなります。薄汚い感情が芽生えたら、どうしたらいいでしょうか?
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*メッセージをくださった方のプライバシー保護のため、相談内容は筆者が意訳・改変しています。
他人との比較に悩む時点で、優しい心の持ち主
自分と他人を比較するのを「薄汚い感情」と言えるのは、それだけ相談者さんが客観的で、優しい気持ちの持ち主だからですよ。だって心の底から「しめしめ」と思うようなら反省なんてしませんし、自己嫌悪もしないからです。
個人的な話をしますね。
ぼくはうつ病になって会社を退職したとき、「自分は負け組だ」と思って、人生でいちばんと言えるくらい劣等感を持ちました。それはそれはひどかったですよ。「人の不幸は蜜の味」と言いますように、当時のぼくにとって誰かの不幸話は「メシウマ」だったのです。
会社の人間関係に苦しんでいる人、思うような成績が出せない人、ブログが炎上した人、会社の経営がうまくいってない人、不倫がバレて離婚寸前の人、人生の方向性に悩んでいる人。
彼らの話を聞いて、身勝手にも、自分の現状を肯定していました。誰かが大変だからって、自分の人生が豊かになるわけではないのに、当時はわからなかったんですね。まさに「薄汚い感情」だと思います。
もちろん今も悟りを開いたわけではありませんから、自分より凄いと思っている人が大変な目にあうのを見て安堵するときはあります。相談者さんと同じように、そんな自分は大嫌いですね。
比較対象にする人って、実は羨ましい人
でも、ぼくは思うんです。
比較対象にする人って、実は「羨ましい人」ではないですか? 「あこがれの人」ではないですか? その人の短所を見つけて優越感を持つということは、おそらくその人の長所もよく知っているはずです。
ハッキリ言うと、本当は羨ましくてあこがれているのに、今の現状に満足してないから、短所を見つけて溜飲を下げるのではないでしょうか。
他人のことが気にならないときを思い出してください。その時期、その時、その瞬間に満足していませんか?満足感でいっぱいのときは、自分と他人を比較しようとは思いませんよね。
だって今の幸せを噛み締めたいから。
人の短所を見つける自分が嫌いなら、人の長所を見つける自分は好きになれる
ここは発想を変えて、比較対象にした人をできるだけ客観的に分析してみてください。そして「どこがダメか?」ではなく、「どこが優れているか?」を見つけてください。「どこか素晴らしいか?」を探してください。
それで劣等感を持ったら今までと同じですから、あくまでも客観的に分析するのです。それだけ人をよく見ている相談者さんですから、必ずできます。
今までの嫉妬、劣等感、優越感は一旦横において、ドロドロした感情に苦しめられた分のもとを取ってやりましょう。人の短所を見つける自分が嫌いなら、人の長所を見つける自分は間違いなく好きになれます。
「羨ましいを認める」ができれば、一歩どころか、七百歩くらい前に進めますよ。
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