ぼくのうつ病の体験談を第一話、第二話、第三話で綴っています。
今回は第二話です。
うつ病になるなんて思いもしなかった
マイペース、脳天気、前向きな性格だと思っていたのに、まさかうつ病になるなんて。
家系に鬱病経験者はいない。
しかも、どちらかと言えば明るくて、前向きな性格だったから、「鬱病は無縁」だと信じ込んでいた。
最初は「典型的なうつ病」という診断結果を信じられなかったのだが、抗うつ薬や睡眠薬を飲むに連れて、実感がわいてきた。
でも、「鬱病に立ち向かおう」なんて前向きな気持ちにはなれない。
まずは家族に詳しく話し、今後のことを決めようと思った。
嫁と子供のことを考えれば考えるほど、会社を休む、もしくは辞めるという選択肢は遠くなっていった。
うつ病の悩みを打ち明けるなら、相談相手は慎重に選んだほうがいい。
うつ病と診断されて緊急家族会議
自宅に着き、夕食もそっちのけで嫁に話をした。
まずは、率直に鬱病であることを告げた。
そして、「1ヶ月の休職が必要なレベルであること」も。
この2つのポイントを伝えるとき、妙に落ち着いた気分だった。
うつ病になりたくはなかったが、不調の原因がハッキリしたぶん、気持ちが楽になっていたのだろう。
人間は「原因不明のもの」に恐怖を感じることが、そのときによく分かった。
仕事は続けられるのか? 会社を辞めるのか?
いまは12月上旬。
仕事を続けられるのか? 会社はどうするのか?
人数の少ない会社で休職しようものなら、迷惑がかかる。
そして、1ヶ月休んだところで鬱病が完治する保証はどこにもなかった。
休職を申し出るべきか…。それとも…
いや、やはり「ソレ」を選択肢として考えるべきではない。
「ソレ」を選んでしまったら、2ヶ月後からは無収入になり、家族を路頭に迷わせてしまう。
仮に1ヶ月後に完治したとして、再就職先がすぐに見つかったとしても、3〜6ヶ月は無収入だ。
絶対にそんなことはできない。
しかし、対人恐怖症も含めて、体調はもう限界だった。
お金より、会社より、身体が大事
ひと通りの話を聞いた嫁の口からでた言葉は、意外なものだった。
本当に、本当に、時が止まったようにキョトンとした。
「じゃあさ、この年末で会社は辞めよう。」
え…?
まず、ぼくが一番敬遠していた「ソレ」をあっさり選んだことに、そして今が12月上旬であるにも関わらず「年末で退職しよう」と口にしたことに驚きを隠せなかった。
嫁が言った内容を整理すると、こんな感じだ。
- だってさ、お金より、会社より身体の方が大事だよ
- このまま働き続けたら、壊れるよ
- 身体さえ元気なら、また稼げるよ
矢継ぎ早にそう言われると、なんだか妙に納得した。
それもそうだ。
もしこのまま働き続けてうつ病がもっと悪化したら、それこそ1ヶ月の休職どころではない。
いま少しだけ休むか? 思いっきり壊れてから長期治療か?
整理して考えると、答えは単純だった。
自分が鬱であることと、退職の意思を伝えるまでの葛藤
当時勤めていた会社は、本当にいいところだった。
中途転職にも関わらず先方から誘っていただき、家族ぐるみの付き合いをしてもらった。
ノビノビ働ける環境も整えてくれた。
うつ病の原因は、断じて会社にあったわけではない。
希望退職日までは2週間しかない
「年末に退職する」なら、あと2週間しかない。
会社勤めしたことがある人なら分かるだろうが、退職の条件としては非常に厳しい。
「2週間前に通告すれば退職できる」という労働者の権利はあるものの、2週間以内に業務の引き継ぎをするのは大変なことだ。
ギリギリのマンパワーでこなしているベンチャー企業なら、なおさらだ。
全てをひっくり返して引き継ぎに追われる… 上司や同僚たちの仕事を増やしてしまう…と想像するだけでも重たい気持ちになった。
上司、社長、同僚にうつ病を告白すること
その反面、鬱病であることを告白したら、もう会社には戻れないだろうとも思っていた。
心を病んだ人には、ただでさえ気を遣うもの。
そんな状態がベンチャー企業のチームワークに良い影響を与えるわけがない。
うつ病を告白したら、イコール辞めるしかなくなるだろうと思ったのだ。
そして、嫁以外の第三者に、自分の病気を伝えるのは恥ずかしかったし、恥だとも思った。
まずは上司に伝え、その後社長に。
「うつ病」という病名とともに、退職の意思を伝えた。
このときはさすがに緊張した。
また、転職に誘ってくれたこと、手厚い待遇をしてもらったこと、家族ぐるみで出かけたイベントなどを思い出し、余計に心が苦しくなった。
「実は鬱病になりました。年内で会社を退職しようと思います」
伝えたのはそれだけだった。
上司も社長も目を丸くした。
「まさかコイツが…」そう思っていたのかもしれない。
後から聞くと、様子がおかしいことには気付いていたようだが、実際に告げられると本当に意外だったそうだ。
ついに嫁以外の第三者にも伝えてしまった。
社内に噂が広まったらどうしよう。本当に恥ずかしい。
でも、うつ病になったら、身近な人から少しずつ告白していく以外にはないと思う。
うつ病で会社を退職するまでの孤独感
上司も社長も同じことを言った。
「事情が事情だけに止めることはできないし、退職を先延ばしすることもできないから、何とかしよう」と言ってくれた。
この言葉には本当に救われたし、今でも感謝している。
正直なところ、身体的にも、精神的にも、もう限界。
「あと2週間で退職」なのに、ぼくには2年ぐらいに感じていた。
本当は明日からでも会社には行きたくない、事務所に入りたくない、人と顔を合わせたくない、それが偽らざる本心だった。
仕事云々よりも、人生に疲れたという状態だったように思う。
鬱を克服するために人づきあいを減らした
それからは、引き継ぎに必要なことを除き、人と関わるのを止めた。
気を遣うのも、気を遣われるのも嫌だったからだ。
面倒なことからは、逃げた。
自分を守るために、社会人失格と言われるレベルまで思いっきり逃げたのだ。
傲慢なのはわかっているが、当時は会社に行くだけでも、気が遠くなるほど大変なことだった。
やるべき仕事と引き継ぎを淡々とこなし、それが終われば、またひとり黙々と働く。
どちらかと言えば、会話をしながらリズムを作っていくタイプだった自分とは、真逆のスタイルでいるのは本当に辛かった。
人に気を遣われて孤独にさせられたのではなく、自ら孤独になった。
もはや限界に達したメンタルを守るには、そうするしかなかった。
うつ病の克服は、まず自覚するところがスタートなのだ。
お世話になった会社への不義理
鬱病とはいえ、散々お世話になった会社を2週間後に退職する。
その事実だけが、いつまでも自分に重くのしかかった。
嫁やクリニックの先生からは「責任を感じる必要はない」と言われたが、当時の精神状態では無理な話。
ブラック企業ならまだしも、自滅したことは自分が一番よく分かっていたからだ。
こんな辞め方をすれば、業界内にすぐ噂は広がるだろう。
鬱が回復して、業界に戻りたいと思っても、雇ってくれるところはないかもしれない…
打算も含めて考えれば考えるほど、鬱は深くなっていった。
「出社すること」でしか恩返しはできない
もうぼくにできるのは「出社すること」しかなかった。
キチンと出社して引き継ぎを行う、もうそれしかできなかった。
通常であれば、会社を辞めるときに以下のようなことを考えるだろう。
- 恩返しのために何かを残す
- 送別会をする
- 個別に食事をして親交を深める
当時には無理だった。
むしろ滞りなく退職することだけに集中していた。
正直言って、出社しただけでも自分を褒めたくなるような健康状態だったのだ。
あいかわらずオフィスに入るとすぐに激しい動悸に襲われ、大量の汗をかいた。
自己嫌悪、自己否定、罪悪感。
これらの感情は、しばらく抱え続けることになる。
ただ、仕事を辞めたいと思ったときが、辞めるタイミングなのだと思う。
うつ症状に苦しみながら同僚と上司に挨拶
上司、同僚たちの協力によって、引き継ぎはかけ足で進んだ。
実際はみんなが協力して、かけ足で期日に間に合わせてくれたのだ。
感謝してもしきれない。
そして、やっと退職日がきた。
年末最終日ということもあり、スケジュールは大掃除のみ。
しかし、「朝イチだけ来て挨拶したら、帰ってもいいよ」と社長が配慮してくれた。
できるだけ早く開放感を手にしたかったぼくは、朝9:00に出社して、みんなに挨拶をした。
最後の最後まで、自分勝手にさせてもらった。
うつ症状の影響で、まともに挨拶できなかった
うつ症状に苦しむ状態で、まともな挨拶ができるわけもなかった。
「お世話になりました。じゃあ、また」
それだけ伝えるのがやっとだった。
当時は今ほど気持ちが整理されておらず、どこかで会社の責任を問うような気持ちがあったのかもしれない。
「もうこの会社のメンバーとは顔を合わせたくない…」と思っていたのかもしれない。
しかし、社会人として最後まで不義理をすることはできない。
様々な思いが絡み合い、集約された言葉が「じゃあ、また」だった。
挨拶を済ませ、お世話になった会社を飛び出すと、ちょっとした開放感があった。
もう恐れなくていいし、怖がらなくてもいい。
震えることも、汗をかくことも、心臓がバクバクすることもないだろう。
それだけで十分だった。
家に帰ると、それまではなんとか踏ん張ってきたものが一気にあふれてきた。
しばらくの間、ひとりで泣いていた。
もし辛い状況にあるなら、転職サービスを利用して環境を変える選択肢もある。
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ミラクリから一言
とりあえず一区切りついた。