「あなたのためを思って言っているんだ」
そんな前置きのもと、厳しい”アドバイス”を受けたことはありませんか?
「これは善意である」という前置きを必要とするアドバイスはスルーしても大丈夫です。
「あなたのためを思って言っているんだ」は親心なのか?
「あなたのためを思って言っているんだ」
会社の上司や先輩からそう言われたり、ときにはインターネットの見知らぬ人から言われてしまうことがありますが、これは親心なのでしょうか?
優等生的な考え方をすれば、アドバイスをしてくれた人の言葉を真摯に受け止める必要があるのでしょう。たとえ厳しいセリフに傷つけられたとしても、”自分の成長のため”と感謝して前向きに捉えること、それができる人が「謙虚で誠実」と言われます。
でも、本当にそうなのでしょうか?
前置きに使われる言葉
- あなたのためを思って言っているんだ。
- こんなことを言ってくれるのは俺以外にいない。
- 私だって本当は言うのが嫌だ。
- あなたのために「あえて」言っている。
- 他には誰も言ってくれないから感謝しなよ?
だいたいこんな感じではないでしょうか?
相手を傷つける言葉の免罪符
”善意であること”の前置きを必要とするアドバイスは、基本的に相手を傷つけます。心に傷を残すレベルの言葉を投げつけられた経験は、誰しもあるんじゃないでしょうか?
だからお前はダメなんだ!
いつまでも仕事ができないんだ!
そんな言葉の前には、「あなたのためを思って言っているんだ」と前置きされることが多く、「相手を傷つける言葉の免罪符」として使われます。
この免罪符を使われると反発・反論ができません。
反論しようものなら”人の善意を踏みにじる奴”というレッテルを貼られることとなります。生真面目な人ほど、ヒドイ言葉に対しても愛情と敬意を見出そうとするでしょう。
しかし心は正直なもので、どこかで納得できない状態が生まれて精神を病んでしまいます。
自分の言葉に自信がない
”善意であること”の前置きを必要とするアドバイスをする人は、自分の言葉に自信がありません。厳しい助言をする場合でも、必ず相手のためになると信じている人は、いちいち前置きなんかしないものです。
ぼくは今まで「そんなことでは苦労するぞ!」と言われたことも無数にありますが、未だに苦労はしていません(と、自分では思ってる)し、「あなたのためを思って言っているんだ」が、現実世界に反映されたこともありません。
善意であると信じ込んだ悪意
「あなたのためを思って言っているんだ」を、いやらしい目線で眺めると、「善意であると信じ込んだ悪意」だと思います。
あって欲しくはないですが、ただ相手を傷つけるための言葉として使われたり、罵倒してストレスを発散したい、目下の人間に偉そうにしたい、格下だと思っている相手を見下したい、などのケースがありますが、本当に相手のことを思っているのであればストレートな言葉で指摘すればいいだけです。
「あなたのためを思って言っているんだ」という人に反論すると、本人は”善意”であると信じ込んでいるため、反発したこちらが悪人扱いをされてしまうのが厄介です。とくに上司や先輩である場合には、上下関係を壊して、規律を乱した人間であると評価されてしまいます。
めんどくさい・・・。
アドバイスをした人にとっては「善意」、でも受け取った人にとっては「悪意」、この齟齬はなかなか埋まらないものです。
押し付けや、人を傷つけるナイフになる可能性
思想家の内田樹先生が、2006年にこのようなことを書いておられました。
「お前のためを思って、言ってるんだ」というのは人を深く傷つけることばを告げるときの常套句ですが、このことばを口にしている人は「私はこの人を傷つけるために、あえて傷つくようなことを言う」という「真実」を決して認めません。ご本人は「お前のためを思って」という(端から聞くと恥ずかしいくらいに「嘘くさい」)フレーズを心から信じているんです。
〜中略〜
こういうことばをいったん口にしてしまった人はもう「自分の悪意が他人を傷つける」可能性の吟味には時間を使わなくなります。怖いものです。
引用元:内田樹の研究室 2006
これはまったく同意するところでして、人を傷つける言葉を善意だと信じ込んでいる人と、悪意だと感じてしまった人の溝は深いものです。感情的にケンカをしても、冷静で論理的な議論をしても、絶対に埋まりません。言った本人は善意のつもりでも、相手にとっては押し付けでしかなく、人を傷つけるナイフのような言葉になるのです。
自分の意見をしっかりと持って、会社組織で働くことは難しいものです。ぼくは13年間も会社員をやってきたクセして、最後の最後までその辺が上手にできませんでした。フリーランスになった今では、基本的に個人を尊重できて、その次に取引先の企業と付き合っていくので、随分と生きやすくなりました。
「組織→個人」「個人→組織」この順番が入れ替わるだけでも生きやすさが変わるものですね。
誰の助言に耳を傾けるべきか?
”善意であること”の前置きを必要とするアドバイスは無視しても大丈夫です。でも「アレも嫌、コレも嫌」では、誰の言葉も受け止めることができず、最後には適切な助言をしてくれる人まで遠ざけてしまうことになります。
それでは寂しいし、孤立するのは嫌です。
では、どのような人のアドバイスに耳を傾けるべきなのでしょうか?
行動と汗の量で伝える人
自分自身も汗をかいて、行動で見せる人の言葉は重いものです。言葉なんか無くても、こちらが勝手に尊敬して、見習おう、何か一つでも盗もう、そう思ってしまうでしょう。
2010年のワールドカップで、サッカー日本代表がベスト8に進出しました。その背景にはそれまでレギュラーだったにも関わらず、本大会では外されてしまった中村俊輔選手たちの献身的な行動があったといいます。練習を全力でやり、自分の代わりに出場した選手に積極的に声をかけ、汗を拭くタオルを持っていく、ストレッチを手伝うなどの行動をしたそうです。
その姿を見たレギュラー陣が奮起して、見事に勝ち進んでいったのですが、これが「チームのため、日本のため」と言いながらダラダラ怠慢な練習をしていたら逆の印象になり、もしかすると士気が下がって大会の結果を左右したかもしれません。
行動は言葉よりも雄弁です。
ストレートにアドバイスをしてくれる人
中途半端な前置きをせずに、ストレートにアドバイスしてくれる人は貴重です。「今のままでも良いとは思うけど…」ということではなく、「今のままではダメだよ」と言ってくれる存在はなかなかいませんし、そのような人ほど自分のことを理解して、自信を持った言葉で未来へのアドバイスをしてくれます。
言いにくいことほどストレートに伝える人は、嫌われるリスクをとってアドバイスをしてくれるからです。
黙って見守ってくれた人
あなたのスキルが上がり、以前よりも仕事ができるようになったとします。そのようなときに「あなたのためを思って言っているんだ」とアドバイスをしてくれた人はどうすると思いますか?
目の前から忽然と姿を消すのです…(笑)
あれ?あれ?
自分のためを思ってくれていたのであれば、スキルがアップしたことや、仕事の成果を出せたことを一緒に喜んでくれそうなものですが、悲しいことにそんなことはありません。その一方で、それまでは黙って見守ってくれた人ほど、重要なポイントでは次に繋がるアドバイスをしてくれるものですから、大切にしたいです。
生真面目に傷つく必要はない
というわけで…
「あなたのためを思って言っているんだ」という言葉はスルーしても大丈夫です。生真面目な人ほど悪意ある言葉でも誠実に受け取ってしまい、自分を苦しめてしまうことになるでしょうから、しっかりと見極めてください。あまりにも重く受け止め続けると、ぼくのようにうつ病になってしまいますよ。
自分のことを思ってくれているのか?
ストレス発散なのか?
悪意ある言葉で傷つけたいだけなのか?
それはアドバイスに前置きされた言葉を見れば分かります。会社組織では誰かの言葉をスルーすることは難しいものですが、心で受け流せば大丈夫です。
あなたのことを本当に思ってくれている人は誰ですか?
*生真面目すぎたら大変ですよー!
ミラクリから一言
大切な人は誰かを見極めましょう。