ぼくのうつ病の体験談を第一話、第二話、第三話で綴っています。
今回は第三話です。
うつ病と診断された2週間後に会社を辞めた
マイペース、脳天気、前向きだった自分がまさかうつ病になるなんて…。
そして、うつ病と診断された2週間後に会社を辞めるなんて…。
この時期は、めまぐるしい展開になんとか付いていこうとする自分と、思考能力を失い開き直っている自分の2人がいた。
退職は、それまでにも3回経験してきたが、病気で会社を辞めたのは初めてだった。
うつ病になったのだから、しょうがないじゃないか。
いや、もう社会復帰はできないのかもしれない。
まずは何も考えずに休もう。
いろんな感情が交錯していた。
もちろん鬱を克服したあとの社会復帰も不安だった。
うつ病を克服するために実家で休養
年末の最終日で会社を退職し、次の日からは年末年始休暇。
しかし、すでに会社員ではないぼくにとって、年末年始は「休暇」ではなく、「無職の始まり」という感覚だった。
今までの人生でも無職の期間を何度か経験したが、今回ばかりは勝手が違った。
当然、自分と嫁の両親にも事情は伝えた。
両家ともに「まずは休養しよう」と言い、退職することには同意してくれていた。
年末年始休暇に入り、実家に帰ると、やはりよそよそしい…。
それはそうだ。
がどのように接していいのか、わからなかったのだと思う。
幸いなことに、最低限のコミュニケーションは取れる健康状態だったため、日常会話のレベルなら何も困らなかった。
ときおり、自分でも「本当にうつ病なのか?」と感じるほどに。
うつ病の治療に、家族のサポートは欠かせない。
両親にうつ病を告白する気まずさ
両親にあらためてうつ病であることと、現在の症状を伝えた。
本当に気まずかった。
うつ病は、精神的な弱さやモチベーションの不足が原因になる病気ではないのだが、サボっているような感覚と自己嫌悪が拭い去れない。
「メンタルの病気で休む」という状況を受け入れられなかったし、恥ずかしかった。
家族でさえも、自分のことを笑っているのではないかと思った。
しかし、身近な人にうつ病を告白し、協力してもらわなければ、完治などあり得ない。
人づきあいを減らし、うつ病の回復を待った
まずは何も考えずに休養しようと思った。
この時期は何も考えずに映画を見て、本を読み、子どもたちと遊んだり、家族と過ごした。
そして、家族以外の誰とも会わなかった。
「誰かと会って刺激をもらう」という選択肢もあるのかもしれないが、この時期はそんな気持ちにはなれなかったし、できるだけ会社員のときには出来なかったことをやろうと思った。
子供を送り、迎え、公園にいって、空き時間ができれば好きなことをしたり、嫁と会話した。
少し疲れたら休む、その繰り返しだ。
人間関係を最小限にすることは、うつ病克服の重要なポイントだったように思う。
休養中に自分と向き合う
会社員として13年間働いてきたが、よく考えてみたら「自分と向き合う時間」なんか無かった。
社会のリズムに合わせ、ルールに沿うことさえできればそれでよかった、とも言えるかもしれない。
時間だけはたっぷりあるこの機会に、自分と向き合ってみようと思った。
ただ、終わりのない「自分探しの旅」にでるようなことは避けなくてはならない。
自分探しなんて、迷路に入ることはあっても、うつ病克服の助けにはならない。
あくまで家族との日常を生きて、その上で感じることを整理していこうと思った。
鬱憤と葛藤を整理するためにブログを始めた
ブログを本格的に始めてみた。
アクセス数がどうか、シェア数がどうかよりも、「自分が考えていることを整理し、文章にすること自体が大切だった。
療養中は鬱憤と葛藤ばかりだったが、文章にすることで気持ちがスッキリした。
時間だけはたっぷりある。
今日のできごと、ニュース、考えたこと、何でもいいから更新してみよう。
この時期から2年が経過した頃、ブログが仕事になり、執筆の仕事をしているのだから、人生はわからないものだ。
文章を書くことで思考を整理する
考えていることを文章にするのは、思っていたよりも大変な作業だった。
でも、リアルな感情を文章にしているなかで、思いがけない本音に気づいたり、絡み合った感情が整理される。
「思考を整理するだけならノートにでも書けば?」という意見もあるだろう。
しかし、休養期間に突入して、人づきあいを遮断した者にとって、社会との接点がブログしかなかったのだ。
ブログを書くことは、うつ病対策になりえると思う。
セロトニンを分泌させるために、ライフスタイルを改善
時間だけはたっぷりある。
うつ病に効果的なことを調べあげて、すぐにできることはないか?を考えた。
うつ病対策に効果的な神経物質、セロトニンの存在を知った。
食事と運動の習慣を見直した
セロトニンは、適切な食事と適度な運動によって、分泌されやすくなる。
最初は半信半疑だったが、食事を見直し、運動を習慣化すると、気分が少しずつ晴れてくる。
たしかに効果的だ。
適度な運動とバランスの良い食生活は、うつ病を克服した今でも心がけている。
鬱を再発させないためにも、健康的なライフスタイルは欠かせない。
引っ越しして、環境を変えた
自宅も引っ越すことにした。
「思い出」というのは不思議なもので、自分の脳だけに記憶されているものではなく、環境やモノにも刻まれている。
たとえば以下のようなものを目にしたとき、嫌な思い出が蘇らないだろうか?
- 辛かったときに着ていた服
- しんどかったときに使っていたモノ
- 落ち込みながら歩いた道
- 鬱な気分で過ごした家
同じ環境にいても、過去のトラウマから逃れることはできない。
実際、自宅にいるだけで、鬱症状に苦しみながら会社に行った記憶が蘇ることも。
辛い思い出を捨てて、気分をリフレッシュ
「知り合いがいない土地」に引っ越したことで、過去の記憶を清算できた。
「人生を一新する」と言えばカッコイイが、正直に言うと、過去のトラウマを捨て去りたい気持ちが強かった。
どうせ引っ越すなら、現住所から遠く、まったく違う環境が望ましい。
自分のことを知っている人が誰もいない環境が、いちばん望ましかった。
1ヶ月ほどかけて家を探し、良い物件を見つけるとすぐに契約して、1ヶ月後には引っ越した。
環境を変えることも、自分にとっては効果的にうつ病対策になった。
医師に「社会復帰してOK」と言われたときに感じた恐怖心
完全休養をはじめた2ヶ月後、ついに医師から「様子を見ながら働いても良いですよ」と言われた。
ただし、再発にはくれぐれも注意してくださいと。
うつ病の再発率は60%だから、医師が念を押すのも当然だ。
自分でも体調が良くなった手応えがあったので、とりあえずホッとした。
だが怖かった。
抗うつ剤や睡眠薬はすでに飲んでおらず、元気であることは間違いないのに、「社会復帰」という言葉が重くのしかかった。
復職した人の多くが再発に苦しんでいる
休養中にずっと気になっていたのは、うつ病で会社を休職した人たちの「その後」だった。
調べてみると、鬱が回復した後、会社に復帰(復職)した人のほとんどが再発させていたのだ。
結局は、同じ環境にいたら再発する。
そして、ぼくにとっては「会社員」というワークスタイルが、もはや恐怖の存在になっていた。
会社員に戻ったら、何かをキッカケに、また鬱症状がでてこないだろうか?という恐怖心があった。
フリーランスになったのは鬱の再発が怖かったから
「社会復帰してOK」の言葉は、待ちに待ったものだったはず。
でも、実際には社会復帰への恐怖心が芽生えてきた。
結局は、嫁と相談してフリーランスになることを決めた。
そう、ぼくがフリーランスになったのは会社員に戻るのが怖かったからだ。
誰かが決めたルールのもと、誰かが作った組織の中に押し込まれたら、また鬱になるかもしれない。
そんな恐怖心が自分を突き動かしたのだ。
独立することへの不安はあった
もともと独立志向があったわけではなく、会社員として社会復帰するのが怖かっただけだ。
もちろん独立への不安もあった。
特殊技能がない。
「食える仕事」の見込みもない。
会社員時代に育ててきた「副業(副収入)」もない。
そんな状態で、よくフリーランスになったものだ。
うつ病の再発が怖いなら、自分で居場所を作ること
何かすごいビジネスモデルを思いついて起業する人もいれば、副業として収益を育ててから独立する人もいる。
その一方で、バイトしながら細々と暮らしている人もいる。
生き方は人それぞれでいい。
ぼくは「会社員」というワークスタイルから逃げた。
でも、逃げた先には何も無いこともよく分かっていた。
だからこそ何とかして自分の居場所をつくろうと思い、独立してから仕事を頑張った。
フリーランスとしては華々しい成功ではないかもしれないが、それでも極めて地道にやってきた。
2016年時点でフリーランスになってから丸3年。
人間、やればできるものである。
プライドを捨て、人に迷惑をかけてでも生きていく覚悟
勤めてきた会社、関わってくれた人たち、家族。
ぼくは、感謝してもしきれないほど、いろんな人に迷惑をかけてきた。
鬱病を引き起こした原因には、性格の生真面目さがあった。
そして、もう一つ「プライドを捨て、人に迷惑をかけてでも生きていく覚悟」が無かったことも大きかったと思う。
もちろん人に迷惑をかけないほうがベターだろう。
でも、ぼくのうつ病経験がそうであったように、「助けてください」と率直に言えば、助けてくれる人は必ずいる。
何でも自分で背負い込まずに、もっと早くに助けを求めれば良かった。
今ではピンチが訪れたら、プライドなんかゴミ箱に捨てて、助けを呼ぶようにしている。
人間的に成長したのか、退化したのかは分からない。
少なくとも、生きやすくはなった。
ぼくは最終的にフリーランスになる道を選んだが、もちろん転職の選択肢もある。
転職サービスを利用して適職を見つけることができれば、気持ちが楽になるかもしれない。
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ミラクリから一言
これから恩返していきます。