ぼくのうつ病の体験談を第一話、第二話、第三話で綴っています。
今回は第一話です。
窮屈だった学生生活から自由な社会生活へ
12歳から親元を離れて生活してきたことで、一般の人たちよりは自由に生きてきた。
でも、6年にわたる寮生活で、厳しい規律と、ゾッとするような上下関係のなかでもまれた。
それが高校を卒業して一人で暮らすようになると、一気に反動がきた。
5年間ほどは黒髪だった記憶がなく、自分で稼いだお金をひたすら遊びにつぎこみ、異性関係も果てしなく乱れた。
「浮気」という概念はなく、確信犯的に不特定多数の女性と付き合ったりもしたが、そもそも「付き合う」という明確な線引きすらないほどだった。
会社で働くようになってからは、まだマシになった。
社会のリズムに合わせることはできたが、性格の脳天気さ、マイペースさ、根拠のない前向きさはそのままだった。
ノルマを課せられてもマイペース、クレームが発生しても脳天気。
実はこれが良いように作用する場合も多く、慌てふためく同僚たちを尻目に、ただ淡々と処理していくことで、ときには「損害賠償」がチラつく弁護士同席のクレーム処理にもかり出された。
性格的な脳天気さ、マイペースさ、前向きさは論理で解明できないところがあり、自分でもその自覚がない。
だからこそ、一度歯車が狂ってしまうと、果てしない奈落の底まで落ちてしまう。
うつ病になりやすい人には、必ず性格的な共通点があるのだから。
仕事に追い詰められ、メンタルがすり減る毎日
ぼくは働くことが好きで、「会社に行くのが嫌だ…」なんて一度も思ったことがなかった。
しかし、その時期は分かりやすく立場が悪かった。
新しく任された仕事で予期せぬトラブルが相次ぎ、厳しい叱責を浴びせられる。
通常であれば「まぁしょうがないな…」と受け流せていた言葉を、上手にかわせなくなっていた。
おそらくこの時点で、ストレスが最高潮に達していたのだろう。
自問自答という名の自傷行為
その時期は頭のなかで自傷行為を繰り返していた。
- 何がダメなんだ…
- オレのせいだ…
- みんなから白い目で見られている…
- もう自分の立場がない…
いま考えれば自意識過剰であることは間違いない。
しかし少人数の会社では、一人あたりの責任が限りなく重くなる。
そんな環境のなかで、トラブルを背負い込むのは辛いことだった。
朝起きる瞬間から寝るまで、ひたすら「自問自答」という名の自傷行為を繰り返していた。
いま考えれば、この時点でうつ病のサインが現れていたのだろう。
「全員に嫌われている」という自意識過剰
「いつからこんなに思いつめる性格になってしまったのか…」
元々は脳天気で、マイペースで、前向きだったぼくの内面で、急激に自意識が肥大化し、「答えのない問い」について考えるようになった。
自意識過剰になった人が考えることはシンプル。
「全員が自分を見ている」と思い込むようになるのだ。
これが良い方向に作用すれば「自分に酔う」状態になり、明るくなれるが、逆方向に作用したときは地獄だ。
そう、「全員に嫌われている」と思い込むようになるのだから。
いま思い返せば、完全に対人恐怖症だった。
会社に居場所がない
それからうつ病になるまでは早かった。
人に話しかけることすらできなくなり、いつも以下のようなことを考えていた。
- この前まではもっと会話してくれたのに…
- なんか視線が冷たい…
- みんなで集まって会話してるけど、ぼくの悪口か…
- そもそもぼくと話したくもないのか…
次第に、口で言えばいいことをあえてメールするケースが増え、担当外の仕事まで自分でこなしてしまうという状態に。
それでも仕事をしている間は気持ちがまぎれたが、ふと我に返ると怖くなった。
家に帰っても家族と会話ができず、ときには八つ当たりをしてしまう。
「答えのない問い」について考ているせいで、脳がパンクしてしまうのだ。
いま考えればゾッとすることだが、眠れない深夜、気づけば包丁を握っていたこともあった。
この時点で、鬱の初期症状について学んでおけばよかった。
ついに身体的なうつ症状が現れた
オフィスで働く「内勤」だったことも良くなかった。
外に出ていく営業マンであれば、一人になれる時間も多いし、忙しければ無駄なことを考える暇もなくなる。
でも、内勤はいつも同僚の目にさらされる。
それは当たり前のことなのだが、自意識が肥大化した状態の人間にとって、人目にさらされる状況は地獄だ。
目に映る人間はすべて「自分の敵」なのだから…。
動悸、震え、異常な汗、無気力
ここからが辛かった。
思いつめるだけならまだ良かったのだが、ついに以下のような症状が身体に現れはじめた。
- 同僚と会話するだけで心臓がバクバク…
- 勤務中に体の震えが止まらない…
- 人に近づくだけで異常な汗をかく…
- やる気が起こらない…
もはや生きる意味を見出だせる状態ではないほど、精神的に追い詰められていた。
いま冷静に考えると「家族もいるのに自分勝手なことを言うな」と思う。
しかしながら、その時期は極めて自己中心的に、自分のことだけを考えていた。
いや、むしろ自分のことを考える余裕もなかった。
ぼくはもともと「緊張」とも無縁の人間だ。
数百人の前で話すときも緊張しないし、初対面でも同じ。
それが、今まで仲良くしてきた同僚と話をするだけでも、「あがり症」のように汗をかき、手足が震える。
ここまで戸惑ったことは人生において記憶になかった。
疲れを取るための対策も実践したが、この時期はあまり効果がなかった。
家族に勧められて病院へ
もはや、うつ症状が他人にも隠せないレベルまで悪化していた。
「さすがにこれはヤバい…」
嫁さんがその状態を察知し、メンタルクリニックで診察を受けることを勧めてきた。
正直言って、最初は「は…?」と思った。
まさか自分がメンタルを病んでいるとは、思いもしなかったからだ。
「なぜ病気でもないのに『精神科のような場所』へ行くのか?」と、本気で思っていた。
しかし、会社に近づくだけで汗をかき、体が震えてくる状態はどう考えても異常だった。
さすがに観念して、ぼくは近所の有名なメンタルクリニックへ行くことに。
「心療内科に行く」という選択肢もあったが、なんとなく「メンタルクリニック」のほうが気軽に行ける気がした。
「心療内科は重度の精神疾患の人がいくところ」という勝手なイメージをもっていたからだ。
うつ病を克服した今となっては、そんなイメージだけで病院を選んだことにゾッとする。
「精神科のような場所」で見た光景
「精神科のような場所」に初めて足を踏み入れた。
エレベーターで3階にあがるまでは、ドキドキが止まらない。
いざクリニックに入ってみると、見るからに精神を病んだ方々がたくさんいた。
失礼な言い方になってしまうが、そのときは不思議とホッとした。
「あぁ…自分だけじゃないんだ…。むしろもっと苦しんでいる方もいるんだな…」と思ったのだ。
実際、待合室で横たわる方もいらっしゃり、自分よりも症状が重いのは明らかだった。
病院の先生に「うつ病です」と告げられた
診察の順番がきた。
先生に最近の症状を話しながら、いま思っていること、考えていることを赤裸々に話してみた。
「大丈夫なフリ」をしたら、その後も苦しむことになる。
もうこれ以上、鬱症状に苦しむことだけは避けたかった。
カウンセリングと診察を終えると、先生が「ちょっと待ってて…」と言って奥の部屋に下がり、看護婦さんと何かを話している。
そのとき、少しだけ「薬…」という単語が聞こえてゾッとした。
先生が戻ってくるとあっさりこう言った。
「小林さん、残念ながら典型的なうつ病ですね」
休職が必要なレベルのうつ病
ついに言われてしまった。
自分でも薄々は気付いていたことだが、第三者から、そして専門家から言われてしまうと逃げようがなかった。
「まだ軽度ですが、最低1ヶ月間の休職を要するレベルです」
え…? さすがにここまでは予想していなかった。
自分の症状を把握したかっただけなのに、会社の休職まで要求されるとは予想外だった。
とりあえず先生に「分かりました」とだけ伝えて、病院を後にした。
メンタルクリニックで処方箋をもらい、薬局で抗うつ薬と睡眠薬をもらった。
帰ってから調べてみると、相当強い薬のようだ。
ぼくは抗うつ薬を飲むことをためらった。
「薬漬けになる」「依存症状態になる」と聞いたことがあったからだ。
でも、現在のうつ症状の重さからすれば、抗うつ薬を飲む以外の選択肢はない。
薬を飲むと少しだけ楽になり、夜も眠れるようになった。
もし現時点で辛い状況にあるなら、転職サービスを利用して環境を変えるという選択肢もある。
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うつ病になったときは、まず身近な人に相談を。
無料で話を聞いてくれる、専門機関もあります。
ミラクリから一言
この時期はホント辛かった。