50代の女性がうつ病の体験談を語ってくれました。
今ほど精神疾患に関する情報がなかった時代に、うつ病になって苦労されたようです。
うつ病が回復してから15年以上経ったいまも、再発を予防するために細心の注意を払っているのだとか。
自分1人で抱え込まず、周囲の人を頼ることの大切さを学んだそうです。
体験談を語ってくれた人
体験談を語ってくれた方:Kさん(50代・女性・パート社員)
家族構成:夫と二人暮らし(子供3人はそれぞれ結婚して自立、母親は実家)
うつ病になった時期:銀行に勤めているとき
銀行の仕事・3人の子供の育児・家事で大忙しの日々
初めてメールをさせていただきます。
私は15年ほど前にうつ病を患いました。
今でも時折再発の兆候を感じることがありますが、元気にやっております。
うつ病になった当時から現在に至るまでのお話をまとめさせていただきます。
私はもともと銀行に勤めておりました。
うつ病になった当時、夫は単身赴任。
高校生と中学生の子供3人、そしてまだ健在だった父と母とも同居しておりました。
当時の私は、仕事と家事で目まぐるしい毎日でした。
私は自分で言うのも何ですが、かなり性格的に明るい方で、友人も多く、「面倒見がいい」とよく言われます。
友人や同僚から悩みを相談されることも多くありましたし、揉め事の仲裁をすることもありました。
勤めていた銀行では日々いろんなトラブルがありましたが、積極的に仕事に取り組み、同僚や上司からの信頼もそれなりにあったと自負しております。
職場環境の変化・人間関係のストレスで自暴自棄に
ところがいつの頃からか、悩みを相談されたり、トラブル対応をすることにものすごくストレスを感じるようになってきました。
そして、頭痛や腹痛に頻繁に襲われるようになり、気分が滅入ることも。
それに加えて信頼していた上司が異動してしまい、職場環境が大きく変わりました。
新しく配属されてきた上司とは反りが合わず、自宅では母との関係がうまくいかない。
仕事場でも自宅でも、心が休まることがありませんでした。
食事も喉を通らなくなり、私は生きていること自体に苦痛を感じるようになったのです。
おそらくこの頃にはうつ病が発症いたのでしょうが、当時は今ほど精神疾患にまつわる情報がありませんでしたので、これと言って対処はせず。
鬱症状を放置しているうちに、自暴自棄になったのだと思います。
そこまでになると仕事も家事も全くできなくなり、とうとう布団から起き上がることさえもできなくなりました。
精神科でうつ病と診断された
その頃の記憶は曖昧ですが、主人に付き添ってもらい総合病院の精神科へと通い始めました。
(*精神科とは、現在でいうところの心療内科やメンタルクリニックのこと。)
医師から告げられたのは、「うつ病」という聞きなれない病名です。
私がうつ病になった当時は、今ほどうつ病という言葉が浸透していませんでしたし、インターネットにも情報がありませんでした。
そして、私の知り合いにもうつ病患者はいませんでしたので、うつ病という病名を聞いたときは面を食らった感じです。
体調があまりにも悪かったため、医師からは「すぐに入院したほうがいい」と言われました。
ですが、ちょうど主人の単身赴任が終わり、長期休暇を取ってくれたため、自宅療養をすることになりました。
布団のなかでただただ療養する日々
このときの私は、主人に対して申し訳ないというような感情はなく、無機質でした。
主人に対してだけではなく、全ての物事に対して何も感じませんでした。
あれほどストレスだった職場の人間関係、家族(母親)との不和もどうでも良くなっていました。
自宅療養中は、昼夜問わず、ずっと布団の中で生活していました。
動くのは、シャワーを浴びるときとトイレに行く時ぐらいだったように記憶しております。
ただ、私はとても恵まれておりました。
主人だけでなく、3人の子供たちも献身的にお世話をしてくれたからです。
家族の支えと抗うつ剤のお陰で徐々に回復
主人の長期休暇が終わってからは、子供たちだけで買い物をして、ご飯をつくり、洗濯や掃除をし、さらに私の世話をしてくれました。
それまでは私がみんなの世話をしなければ家庭はまわらないと思っていましたが、そんなことは思い上がりだ、ということに気付かされました。
医師から処方された抗うつ剤と家族の支えのお陰で、体調は徐々に良くなりました。
そして、1年半ほどかかりましたが、うつ病も回復。
うつ病で休職していた銀行に復帰しようかとも考えましたが、結果的に退職することにしました。
休職扱いにしていただいたのに退職するのは不義理かと悩みましたが、上司や同僚が私の体を気遣い、退職を勧めてくれたのです。
あらためて考えてみると、私は多くの方の支えがあったからこそ、うつ病から立ち直ることができたのだと思います。
お世話になった方々にはこれからもできるかぎり恩返ししていきたいと思っております。
鬱の再発を予防するために、パート社員として働くことに
心身ともに回復してから2年ほど経過してからは、パート社員として働くことにしました。
正社員になり、仕事や人間関係のストレスを受けて、うつ病が再発するのが怖かったからです。
パートの仕事に慣れてしばらくすると、仕事量が増えたり、責任ある立場に配属されるようになるため、心身への負担を減らすために職場を変えました。
短期間で職場を変えるのは大変でしたが、それでも健康には代えられません。
うつ病の再発は今のところありませんが、時折あのモヤモヤした感じになることがあります。
うつ病が回復してからは、父が他界したこと、母との同居を止めたこと、パートの仕事が忙しくなったこと、子供の受験など、いろんなことがありました。
それらの出来事によって疲れやストレスが大きくなりすぎると、うつ病になったときの感覚を思い出します。
ですが、今では「やばい!」と思ったときは親友や従兄弟を頼り、現実から離れて、心を落ち着かせるようにしています。
ありがたいことに、今のところうつ病は再発していません。
きっと私は何でも自分で背負い込みすぎるところがあるのだと思います。
頼るのは甘えじゃない!周囲の人たちの力を借りること
自意識過剰すぎて、誰にも頼れないのが私のダメなところですが、もう一度うつ病になりたくはありません。
自分だけでなく、大切な人たちに負担をかけることだけはもう絶対に繰り返したくありません。
ですから、焦燥感に襲われた時は一度すべてを放り出し、休養することにしています。
家事や仕事を放り出すので、周囲に負担をかけますが、2〜3日の休養とうつ病のサポートでは、後者のほうが絶対に大変ですからね。
精神科の医師から言われたのは、「うつ病というものには『完治』という概念がない」ということ。
つまり一時的に鬱が回復したとしても、また再発する可能性があるということです。
病気で例えると、「癌(がん)」に近いのかもしれませんね。
うつ病を再発させないために、私はこれからも周囲の人たちの力を借りながら生きていきたいと思います。
そして、元気なときはきっちりと周囲に恩返ししようと思います。
長文失礼いたしました。
まとめ:うつ病を治すためには周囲のサポートが必要不可欠
仕事のストレス、職場環境の変化、3人の子供の育児、母親との不和などが重なり、うつ病になってしまったKさんの体験談でした。
うつ病になる原因はたいてい1つではありませんが、Kさんの場合も全ての要素が複雑に絡み合ったのでしょう。
さて、Kさんの体験談を拝読して印象に残ったのは、家族のサポートです。
ちょうど旦那さんの単身赴任が終わる頃に発症したのもありますが、旦那さんが長期休暇を取るなど、献身的にサポートしてくれたようですね。
また、3人のお子さんが身の回りのお世話をしてくれたのも大きかったようです。
うつ病は自分1人でストレスを抱え込んだ結果としてなるものですから、治すときは独りではいけない。
うつ病を治すためには、家族や友人のサポートが必要不可欠だとぼくは考えています。
また、うつ病になったときは、まずは家族や友人にその事実を伝えるのが大変。
ぼくがうつ病になったときも散々悩みましたが、今となっては家族や友人に早めに伝えておいて良かったと思っています。
まずは身近な人にうつ病であることを伝えて、サポートをお願いしましょう。
相談できる人が身近にいない場合は、無料相談窓口を活用してください。
そして、サポートする側としては、うつ病患者に言ってはいけないこと、やってはいけないことを十分に把握した上で、長い目で付き合っていくことが大切です。
Kさんもお医者さんから言われたそうですが、うつ病は「完治」という概念がなく、ずっと付き合っていく病気ですから、再発予防は継続して続けていきましょう。
ミラクリから一言
ぼくもうつ病をきっかけに人に頼るようになりました。