小林敏徳のコラム

「無意味な時間」を過ごす意味

今日はなぜか力が抜けている。

朝起きて走りに行ったものの、なんとなく力が抜けて、歩くことにした。小一時間は歩いたかな。その間は何も考えず、ただユラユラと歩いた。

朝ごはんを食べても力は抜けたままで、何もする気がしない。気になっている仕事も、心待ちにしている客先からの返信も、今はどうでもいい。どうでもいいことはないけど、すみません、「今は」どうでもいいです。

というわけで、朝からずっとダラダラしている。

たまっている本を読む気にはなれず、先延ばしにしていたドラマを見る気にもなれず。大好きなポケモンゴーのイベントがあるというのに、30分ほど歩いたら、「暑いし、もう帰ろっかな」と思って帰ってきた。

昼ごはんを食べたら、このブログのテーマが気になり始めたけど、まったく思い浮かばない。嫁さんに助けを求めても、聞いたことを脳に取り込んで、別の形にして出力する作業はとてもできなかった。

しまいに途中で寝てしまった。(ごめん)

というわけで、ずっと無意味な時間を過ごしている。

ぼくは貧乏性なのか、「意味ある時間を過ごしたい」という気持ちが強い。いわゆる「時間を無駄にしたくない」である。

本を読んだり、仕事をしたり、ウォーキングしたり。何かしら自分にリターンのあることをしようとする。ここまで書いて気づいたが、これはもう完全に貧乏性だな。

今日みたいなダラダラした日には、何も意味がないのかな。なんとか力を振り絞って書いたこのブログにも意味はないのかな。あぁ…また体が「意味」を求めている。

時間に意味を求めるタイプの人は、無意味な時間を過ごすと罪悪感がわく。「もったいないことをした」と思うし、意味ある時間にできなかったことを悔やむし、自分を律することができなかったと落ち込む。

今日はまさにそんな日である。

ひとつだけ救いがあるとすれば、14:00頃に、「その時間の意味は、ずいぶん後になってからわかる」と思えたこと。1ヶ月後か、3年後かはわからないけど、そんな日が来るといいな。

今日というダラけた日の意味はなんだろう。

「手を止めることを学んだ」か。

「アイディアが熟成された」か。

それとも「無意味の意味を知った」だろうか。

ミラクリから一言

今からまた寝ます。

トシノリ
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