小林敏徳のコラム

「認められたい」と思って、でも認められなくて

「認められたい」ってまだ思う?

「認められたい」と思うことはあるだろうか?

ぼくは正直、まだまだある。

周りの人の話を聞くかぎり、もしかするとぼくは「認められたい」が強いほうかもしれない。40歳を前にして、青臭すぎる感情が残っているのはちょっと恥ずかしい。

昔話:運動音痴のくせに、スポーツで認められようとした

小学校の頃、自他ともに認める運動音痴だったぼくは、無謀にも、スポーツで「認められたい」と思った。でも当然ながらサッカーはだめ、野球もだめ、かろうじてバスケはできたが、そこそこ止まり。

じゃあ何で認められようとしたかというと、運動会の「棒倒し」だ。男たちがひとつの棒を囲み、それを倒し合う。小学生ながら、殴り合い寸前になるような激しい競技だった。

でもどうしよう。

ぼくは足は遅いし、力も強くない。だから先人を切って敵チームに襲いかかることはできないし、かといって、迫りくる敵チームをなぎ倒したりもできない。

「運動音痴なのを逆手に取ってやろう」

そこで考えた。

「運動音痴なのを逆手に取ってやろう」と。

どういうことかと言うと、ぼくは運動音痴なのだから、誰もぼくには警戒しないと踏んだのだ。つまり、激しくぶつかり合う男たちのなかで、ぼくだけが自由に動き回ることを許され、うまくいけば敵チームの棒を倒せるのではないかと。

その目的を果たすには攻撃陣に入るしかなかったが、そのときはなんとなく入れそうな気がした。

鼻息荒い運動音痴には、誰も警戒しなかった

運動会当日。ぼくは思惑通り、棒を倒しにいく攻撃陣に入った。

選抜されたというより、小学生がよくやる「いる、いらない形式」で、しぶしぶ攻撃陣に引き取られた感じだ。まぁいい。うまくいけば、今日の主役はぼくになるのだから。

体育教師のピストルがなり、棒倒しがはじまった。

ぼくは直線的に敵陣内に入るのではなく、あえて迂回した。ただでさえ誰もぼくには警戒しないのだから、わざと的はずれな方向に走ればなおさら警戒されないと思ったからだ。

仮説は正しかった。

ぼくの前だけモーゼの十戒のように道があいている。もちろん聖なる力でこじ開けたのではなく、敵チームがぼくの勢いに圧倒されたのでもなく、ぼくの存在が誰の視界にも入っていないからなのだが。

まさか、まさかの主役級の活躍

左方向からそろそろと敵陣内に侵入し、棒を支える男たちのところまで来た。まだ誰も気づかない。今しかない。勢いよく棒に掴みかかると、左側で棒を支えていた汗だくの男が、「こっち!こっち!こっちに誰かいる!」と言った。

だが声は届かない。ぼくはひとりで棒にしがみつき、みるみるうちに棒が斜めに倒れてきたが、下で棒を支える男たちは、なぜ自分たちが負けそうになっているのか、理解できない様子だった。

誰もそこにはいないはずなのに。

「認められたい」けど、認められないことって多いよね

結果を言うと、ぼくはほぼ一人で棒を倒した。おこがましいが、味方チームを勝たせたのだ。

大胆な仮説と、綿密なシミュレーションが実ったことでぼくは有頂天だったが、競技が終わってテントに戻る際の友人の一言で、その嬉しさはどこかへ吹き飛んでしまった。

友人はこう言った。

「勝ったな。練習ではなかなか勝てなかったからよかった」

そこまではよかったが、次でゾッとした。

「ところでお前、どこにいたの?」

そう、味方でさえぼくの存在に気づいていなかったのだ。ぼくは「ほぼ一人で」棒を倒したが、その手柄は、もう一人の誰かのものになっていた。

そりゃそうか。敵チームには見えてほしくなくて、味方チームには見てほしいなんて虫がいいか。

あぁぁぁぁぁぁぁ!

「認められたい」けど、認めてもらえないことって多いよね。

そういうときって孤独だけど、結局はコツコツ継続して、相手の要求に応えるしかないよね。

ミラクリから一言

がんばろう。

トシノリ
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