小林敏徳のコラム

「迷ったら、楽しい方を選びなさい」

「あなたはいつも正しいね」

「あなたはいつも正しいね」

てっきり褒められたのかと思ったが、次の言葉で違うとわかった。

「迷ったら、楽しい方を選びなさい」

「正しい方に進まなきゃ意味ないでしょ?」

当時のぼくは、その言葉をしばらく理解できずにいた。

「楽しい方? は? 正しい方に進まなきゃ意味ないでしょ?」

そう反芻し、何度も正しい方が良いと結論づけた。その乱暴な結論によって自滅するとは、思いもしなかった。

「隙のない人間」になりたい

その後も徹底的に正しさにこだわった。

まず自分自身には、「隙のなさ」を求めた。

スタイリッシュに見えるが決して目立ちすぎない服を着て、周りには挨拶を欠かさず、どんなときでも笑顔でいた。アドバイスを求められたら、ありったけの常識やモラルを盛り込んだ意見を伝えた。上司には敬意を、部下にはリーダーシップを。本屋に並ぶ生き方や考え方の本は、片っ端から読んだ。

ぼくは明らかに正しい人間だった。

「面白みがない」と言われても、それはぼくの求めるものではなかったから、どうでもよかった。

正しさが、次第に呪いになる

徹底的に追い求めた正しさが呪いに変わるまで、あまり時間はかからなかった。

あるとき仕事で、ありえないミスをした。お客さんに提出した印刷物に、誤字が見つかったのだ。

信じられない。今まで校正でミスをしたことはない。誰かが間違ったのか? いや、最終確認は自分でしたはず。最終校正を見たら、誤字は、誤字のままそこに存在した。

許せない。認めたくない。ぼくは周りから評価される人間であって、笑われる人間ではない。絶対に嫌だ。

本気でそう思っていたから、印刷物の失敗をいじってきた同僚を、本気で睨みつけた。その場の空気が変わったのは感じたが、もうそれどころではない。「おっちょこちょい」は、理想の真逆だからだ。

嫌だ、絶対に嫌だ。

自己嫌悪が増えるほど、失敗も増えた

正しさから外れた自分を許せず、自己嫌悪が増えるほど、不思議と失敗も増えた。

スケジュールの間違い。指示の勘違い。企画書の確認ミス。人にかける言葉の誤り。それまでは「ありえない」とすら思っていたミスを次々とした。

失敗が続くと過敏になるから、社内の評判が落ちていくのもわかる。でも、どうしようもない。「挽回しなければ」という気持ちが、また次のミスを誘発した。

心のどこかでは気づいていただろう。明らかに空回りしていると。

ぼくは正しい人間のはずだった。

常識的で、前向きで、集団にちゃんとなじみ、交友関係も広く、収入も平均くらいはあって、家族も幸せで。会社でも評価されて、順調に出世して、業界でもそれなりに知られるようになって、影響力もある。

その頃のぼくの正しさは、ただの呪いになっていた。

正しさによって追い詰められ、自滅

ここまでくると、自滅までは早い。激しい自己嫌悪の日々によって、心身がおかしくなってきた。

朝起きても布団から出られず、「仕事に行きたくない」と思う。以前なら考えられない状態だ。オフィスが近づくにつれて震えが止まらなくなくなり、気の置けない同僚と話すだけで汗だくになった。

これはどういうことだ。何が起こっているのか。もはや冷静に考えることすらできない。

力づくで「正しい毎日」を生きようとするが、体は付いてこない。理想も、やる気も、どこかへ行ってしまった。周りの笑い声が聞こえたような気がして、また震えが止まらなくなった。

自滅への道を滑り落ちながら、ふと、「迷ったら、楽しい方を選びなさい」を思い出した。

「正しさ」は一種の快楽

正しくあろうとする毎日は、楽しい。本当に楽しい。

今日も正しく生きられた、正しい人間でいられた。そんな実感があれば、いい酒が飲めるだろう。

今の世の中も、正しさのためにSNSが炎上し、正しさのために誰かが血祭りにあげられる。「意識高い系」と呼ばれる人や、それを揶揄する人も後をたたない。

それぞれの正しさと闘っていて、正しさに反する者とも戦っている。ぼくがそうだったように、きっとそれはそれで充実しているのだろう。

正しさは、一種の快楽なのだ。

その正しさは、どこからきた?

ここでひとつ疑問がわく。

その正しさは、どこからきたのか?

人しての正しさ、性別的な正しさ、仕事のやり方の正しさ、経済の正しさ、政治の正しさ。

どこからきたのだろう?

きっとどこかで見聞きしたものを「価値観」としただけで、自分自身で徹底的に考え抜いたものは少ないはずだ。

血や経験の詰まっていない正しさは、まさに呪いである。

自分なりの正しさの基準を持つ

断っておくが、正しさにこだわるのが悪いわけではない。

自分なりの正しさの基準を持ったほうがいい、ということだ。

今は望む望まざるに関わらず、情報が飛び込んでくる時代だから、知らない間に誰かの影響力に侵されることも少なくない。

もう一度、過去のぼくを振り返ってみよう。

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スタイリッシュに見えるが決して目立ちすぎない服を着て、周りには挨拶を欠かさず、どんなときでも笑顔でいた。アドバイスを求められたら、ありったけの常識やモラルを取り込んだ意見を伝えた。上司には敬意を、部下にはリーダーシップを。本屋に並ぶ生き方や考え方の本は、片っ端から読んだ。
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この正しさはどこからきたのか。

迷ったら、楽しい方を選びなさい

「ふわっとした正しさに縛られてないで、楽しい方を取りなよ」

あのとき忠告してくれた女性は、きっとそれが言いたかったのではないか。ぼくの心の叫びに、ぼくより5年も早く気づいてくれたのではないだろうか。

だとしたら申し訳ない。あの時点ではわからなかった。

ぼくの正しさが、あんなにもスカスカだったとは。

ミラクリから一言

楽しい方を取ってもいい、配慮さえあれば。

トシノリ
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