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「人の役に立っている」という感覚さえあれば

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「人の役に立っている」という感覚は本当に大切だと思う。

それさえあれば生きていけると言っていいくらいに。

思い返せば、無職のときは人生で最も心がすさんでいた。

それまでは無職になったら、寂しいだとか、孤独だとか、そっちのほうがキツいのだろうと想像していたが、実際になってみると全く違った。

「自分は誰の役にも立っていない」

この気持ちのほうがずっとつらかった。

働かなくていい、という状態は、ある意味自由だ。

鬱陶しい上司もいないし、煩わしい人間関係もない。

自由だ、たしかに自由なのだが、その自由さが心を痛めつける。

誰の役にも立っていない、誰からも必要とされていない、という感覚は、言葉では言い表せないほど心にズシンとくるものだ。

しばらくの間、引きこもって仕事をしていた。

何かを創るというのは孤独な行為だから、ときに自分と社会の接点を見失う。

ものづくりに集中する一方で、思い描いたとおりに仕上げられるのかが不安になる。

仕事を頼んでくださった方に満足してもらえるかどうかも不安だ。

誰からもフィードバックを受けられないまま、時間だけが経過する。

そんな時期は「誰の役にも立っていない」という感覚に襲われ、イライラしがちになるものだ。

今回もそうだった。

仕事がうまくいっている友人を見ては気持ちが揺れ、自分もそうなりたいと思った。

そんなときに目についたのが、汚れた食器たち。

気がついたときには、無我夢中でそれを洗っていた。

食器を洗うというあたりまえの行為が、なぜか心地よかった。

家族にも感謝された。

洗い物をしただけで感謝されるというと日頃の怠惰がバレてしまいそうだが、まぁそれはいいだろう。

「ありがとう」と言ってもらって、本当にうれしかった。

洗い物なんて今まで何千回もやってきたはずなのに、これほど感謝されたのは記憶にない。

自分自身が必要以上に受け止めただけなのかもしれないが、少なくとも気分は良かった。

どうやら大きなことに囚われすぎていたようだ。

「人の役に立っている」という感覚を得るためには、仕事でものすごい成果を出さなきゃならないとか、人助けをしなきゃならないと思い込んでいた。

しかし、そうではなかった。

簡単なことでいいんだ。

人が喜んでくれることのタネはそこらじゅうに転がっているのだから、それをきっちり拾えばいいじゃないか。

皿洗いだって、掃除だって、洗濯だって、朝の挨拶だって、何だっていい。

仕事で毎日のように貢献できるなら、それをやればいい。

実はできることがたくさんある。

今がどれだけつらくても、孤独でも、大丈夫だ。

「人の役に立っている」という感覚さえあれば。

 - 小林敏徳のコラム

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